<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" version="2.0" xmlns:media="http://search.yahoo.com/mrss/"><channel><title><![CDATA[ILANDR]]></title><description><![CDATA[Inspiring island life, people, stories and interviews]]></description><link>http://ilandr.com/</link><generator>Ghost 0.11</generator><lastBuildDate>Sun, 31 Aug 2025 01:37:36 GMT</lastBuildDate><atom:link href="http://ilandr.com/rss/" rel="self" type="application/rss+xml"/><ttl>60</ttl><item><title><![CDATA[奄美の陶芸家]]></title><description><![CDATA[<h3 id="vol4">Vol.4 池 淳一　</h3>

<p>スペインで修行を積んだ野茶坊焼窯元・池波陶柳さんこと池淳一さんのユニークなプライベートに迫ります。</p>

<p><small>池先生と三角浜での会話　インタビューから抜粋</small><br><audio controls> <br>
  <source src="http://ilandr.com/blog/content/audio/ike-sensei-audio.mp3" type="audio/mpeg">
</audio></p>

<p><small>※ このインタビューは２０１７年冬〜２０２０年秋までの記録です。　池淳一さんは２０２０年１２月にご逝去されました。故人の冥福を祈り、生前のインタビューを紹介します。</small></p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ikei-sensei-sankaku-hama-amami-oshima-naze-beach.jpg" alt="三角浜にて" title=""><small>池先生　奄美大島の市街地に近い三角浜にて</small></p>

<p><strong>どちらで生まれ育ちましたか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>生まれた場所は終戦直後の防空壕よ。奄美大島南部の港町古仁屋の防空壕で生まれた。戦後すぐだった。戦争終わったらすぐだったんで病院も何もなくてね。おふくろが自分でへその緒切って、すごかったみたいよ。あの時代の人はみんな強かったみたい。ばぁちゃんが産婆さんを呼びに行ってる間に生まれ、僕を抱いて失神してたらしい。<br><br>
  もちろん食べるものもない。食事なんて贅沢な話で芋があれば喜んで食べる。僕が先に死ぬか、おふくろが先に死ぬか、賭けをしていたみたいよ。（笑）</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/amami-oshima-ww2-shelter-tunnel.jpg" alt="防空壕" title=""> <small>奄美大島で現在も残る防空壕 瀬戸内町須手</small></p>

<p><strong>奄美がアメリカだった時代はどのように過ごしていましたか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>人の家のばんしろう盗んだり、みかんを盗んだり・・・（笑）そんなもんよ。
  食料がないから食べ物があったらどこにでも行ったね。みんな命がけだった。<br><br>
  ウニとかエビ捕りもよくしたよ。エビを捕ってきたら親が喜んでね。お金にもなったし、米軍のおっちゃんなんかに持って行くと喜んでチョコレートと替えてくれたから。<br><br>
  信託統治、奄美がまだ日本に復帰していない時は古仁屋で暮らしてたね。
  昭和２</em></p></blockquote>]]></description><link>http://ilandr.com/amami-red-clay-pottery-ike-sensei/</link><guid isPermaLink="false">45a3618a-9f89-4000-ab2a-7bb29daeb2f4</guid><category><![CDATA[amami]]></category><category><![CDATA[ike]]></category><category><![CDATA[sensei]]></category><category><![CDATA[pottery]]></category><category><![CDATA[ceramic]]></category><category><![CDATA[picasso]]></category><category><![CDATA[dali]]></category><category><![CDATA[art]]></category><dc:creator><![CDATA[Hisami Take]]></dc:creator><pubDate>Mon, 14 Jun 2021 12:06:00 GMT</pubDate><media:content url="http://ilandr.com/content/images/2021/06/amami-ike-sensei-potter-red-clay-interview.jpg" medium="image"/><content:encoded><![CDATA[<h3 id="vol4">Vol.4 池 淳一　</h3>

<img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/amami-ike-sensei-potter-red-clay-interview.jpg" alt="奄美の陶芸家"><p>スペインで修行を積んだ野茶坊焼窯元・池波陶柳さんこと池淳一さんのユニークなプライベートに迫ります。</p>

<p><small>池先生と三角浜での会話　インタビューから抜粋</small><br><audio controls> <br>
  <source src="http://ilandr.com/blog/content/audio/ike-sensei-audio.mp3" type="audio/mpeg">
</audio></p>

<p><small>※ このインタビューは２０１７年冬〜２０２０年秋までの記録です。　池淳一さんは２０２０年１２月にご逝去されました。故人の冥福を祈り、生前のインタビューを紹介します。</small></p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ikei-sensei-sankaku-hama-amami-oshima-naze-beach.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>池先生　奄美大島の市街地に近い三角浜にて</small></p>

<p><strong>どちらで生まれ育ちましたか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>生まれた場所は終戦直後の防空壕よ。奄美大島南部の港町古仁屋の防空壕で生まれた。戦後すぐだった。戦争終わったらすぐだったんで病院も何もなくてね。おふくろが自分でへその緒切って、すごかったみたいよ。あの時代の人はみんな強かったみたい。ばぁちゃんが産婆さんを呼びに行ってる間に生まれ、僕を抱いて失神してたらしい。<br><br>
  もちろん食べるものもない。食事なんて贅沢な話で芋があれば喜んで食べる。僕が先に死ぬか、おふくろが先に死ぬか、賭けをしていたみたいよ。（笑）</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/amami-oshima-ww2-shelter-tunnel.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""> <small>奄美大島で現在も残る防空壕 瀬戸内町須手</small></p>

<p><strong>奄美がアメリカだった時代はどのように過ごしていましたか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>人の家のばんしろう盗んだり、みかんを盗んだり・・・（笑）そんなもんよ。
  食料がないから食べ物があったらどこにでも行ったね。みんな命がけだった。<br><br>
  ウニとかエビ捕りもよくしたよ。エビを捕ってきたら親が喜んでね。お金にもなったし、米軍のおっちゃんなんかに持って行くと喜んでチョコレートと替えてくれたから。<br><br>
  信託統治、奄美がまだ日本に復帰していない時は古仁屋で暮らしてたね。
  昭和２８年、小学二年生の時まで古仁屋で暮らしていた。<br><br>
  移動できるようになってから名瀬に移った。それまでは勝手に移動できなかったからね。</em></p>
</blockquote>

<p><small>国連の信託統治におかれた奄美大島は、アメリカ統治時代が約８年余り続き、１９５３年（昭和２８年）に日本に復帰した。命をかけて生きるために必死だった時代背景が伺えました。古仁屋は奄美大島南部、名瀬は奄美大島中心部。</small></p>

<p><strong>ピカソに憧れ、スペインでの暮らしも経験されたとか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>スペインのバルセロナで７年ほど暮らしていた。<br><br>
  ピカソに憧れてたから本当は焼き物じゃなくて絵描きになりたくてね。<br>
  大学に行く時に「美大に行きたい」と言ったら美大に行くなら金は出さんと親父に大反対された。絵描きでは飯は食えんと言われてね。<br><br>
  どんな大学でもいいからということで入った学部は獣医を目指すところ。
  入学して三年目に大学紛争、学生運動が激しくて大学は封鎖された。<br><br>
  休学中にシベリア鉄道に乗り、レニングラード（現ロシア・サンクトペテルブルク）まで行った。１ドル３６０円の時に本来は５００ドルまでしか持てなかった時代だけど、横須賀の米軍基地で闇ドルを１００万分買った。約３０００ドルで、日本円にしたら３０万ちょっとにしかならない。３０００ドルなんてすぐに無くなったね。<br><br>「今、ベルギーに来てる」と親に電話したら、「あっそうか、暗くならないうちに帰れよ」と言われた。どっかの喫茶店と間違ったんじゃない？全然信用されてないわけ。<br><br>「今フランスに着いた」って言ったら、「おまえ本気か？」って。
  「日本への電話が８０ドルかかるのに、冗談で電話できる金額ではない」と怒ったね。もう、せっかくここまできたんだから、なにがなんでもピレネー山脈を越えて帰ろうと思った。<br><br>
  フランスに着くまではみんな背が高くてね。特にスウェーデンとか。
  子供用のトイレを使わなくてはいけなくて、恥ずかしかったね・・・<br><br>
  山を越えたら、自分と背丈が変わらない人達がウェルカムな感じで、誰でもおいでみたいな感じだった。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/02/image.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>パブロ・ピカソ Pablo Picasso （1962年）出典：Artpedia アートペディア/現代美術の百科事典</small></p>

<p><strong>そのままスペインに移住したのでしょうか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>いや、日本に帰って来た。帰国したら卒業証書が届いてて水産学部卒業になっていたのは驚いた。お袋にも「おまえずっと嘘ついてたね」と言われたけど、もう卒業できれば何でもいいということになってね。獣医を目指し入学し、卒業は水産学部でした。<br><br>「よし、これで行けるな」と、卒業後に家を出た。<br><br>どうしてもスペインに行きたかった。前にピカソが出た学校を確認してきてたから同じ学校に行けばピカソになれるかなと思って、親父に黙って飛び出して行ったね。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/barcelona-ikei-sensei.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>スペイン・バルセロナのランブラス通り　出典：Expedia.co.jp</small> </p>

<blockquote>
  <p><em>バルセロナの中心地にあるマッサーナ美術学校に何が何でも入学したいと思って、言葉も分からないけど、唯一外国人が受けられる試験があったので受けた。<br><br>
  机に画用紙と鉛筆が置いてあり、ストップウォッチがあって試験官がストップウォッチの１５分のところを指差し、顔を描けとジェスチャーで教えてくれて描いた。<br><br>
  結果はA,B,Cとランクがあって<br><br>
  A, 授業料免除、生活も学校が面倒見る、入ってちょうだい。<br> <br>
  B, 授業料免除、来たければおいで。<br> <br>
  C, 全額自己負担<br> <br>
  僕はBで、生活費は自分で稼がなくてはいけないわけで、学校の仲間とランブラス通りで似顔絵を描いて売っていたね。お客さんが付かない日にはお客さんが付いた仲間に食わしてもらう。それが、一ヶ月も二ヶ月もその男にばかり食わしてもらうと、だんだん引け目を感じるのよね。で、負い目なく飯食おうと思って、日本から持って来た墨を、わざとみんなの前で擦って墨で似顔絵を描くようになったら、なんだなんだと観光客が寄ってくるのね。今度は僕のところばかりお客さんが来だして、一人勝ちしたみたいになって、本当は恥ずかしかったけど、生活かかっているから人前でも平気で。あれから恥っちいうことを知らんくなったのかも。</em></p>
  
  <p><em>ひよこの鑑別の仕事もした。いいお金になって小さなマンションを買って生活してたね。僕がスペインを出る前に海外旅行が自由化されて、日本からバルセロナ大学に２人きたけど、飯が食えんって、うおさおしてたから「僕のところ来れば」と飯食わしたのが間違いでね・・・大変だった。<br><br>
  ひよこの鑑別の仕事はグループで国境まで走ることもあり、車の距離と稼いだ金額をまとめる。
  １週間したら、また違うところへと行く。ポルトガルの国境だったり独身は遠くに行かされるし、かなり大変だったね。</em></p>
</blockquote>

<p><small>海外旅行の自由化は１９６４年昭和３９年。留学と移住の目的を持った人だけがパスポートを作ることができた。観光目的では海外に行くことができない時代。</small></p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/picasso-ikei-sensei.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>『ゲルニカGuernica』ピカソの代表作（1937年）出典：Artpedia アートペディア/現代美術の百科事典</small></p>

<blockquote>
  <p><em>スペインの内戦中にピカソが描いた「ゲルニカ」は土地の名前だけど都市無差別爆撃を受けた場所で、ピカソは政府に対して革命運動の戦士だったのよね。同じように小説家のヘミングウェイも仲間だったみたい。たまたま行ったキューバのレストランではヘミングウェイの席があって、毎日同じ席でロブスターを食べていたみたい。僕も改めて入り浸りになったけどヘミングウェイの席には座らせてくれないのよね。今でも彼がそこに居るからと。</em></p>
</blockquote>

<p><small>他にも画家であるサルバドール・ダリと、その妻であるガラ・エリュアールとも偶然会ったことがあるというエピソードを聞いて驚きました！</small></p>

<p><strong>バルセロナに７年間住んでいて奄美に戻ろうと思ったきっかけは。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>スペインでクーデターが起こりそうだったから。
  フランコ体制から王政に変わる時に暴動が起きそうな感じで、地下鉄の入り口あたりに機関銃持って立つやつが出てきたから怖くなってね。で、まあ危ないから少し離れた外から眺めてようとなり、フランスのペルピニャンというところからバルセロナを眺めてたら、なかなか終わりそうになかったんで、じゃ一回日本に帰ろうかと帰ってきた。おやじは喜ぶし、お袋も喜ぶし・・・</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/dictator-Francisco-Franco-in-Barcelona-1970.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>１９７０年代のフランシスコ・フランコ　バルセロナにて。</small></p>

<p><strong>長男だからとか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>いや、災難（笑）生まれてからずっと災難。
  日本に帰るつもりはなくて出て行ったからね、帰るのが敗北宣言したような・・・<br><br>
  帰りたくなかった。帰りたくなかったけど、まあ、生活できんとしょうがないんで。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>島に戻ってきてから本格的に陶芸を仕事として始めたのでしょうか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>スペインでやってたからね、これしか生活の手段知らんし、一時は生活の為の仕事を探したりしたけど、でもやっぱりこれしかないなと思って。<br><br>島で陶芸を始めた時に後ろの山に林道を作る計画があって、山の尾根を通って各集落に降りる計画だったのよね。その仕事と同時に良い土を見つけたら持ち帰った。あと妊婦さんを運ぶ仕事もした。土方の作業代と運賃、そのトラックで妊婦さんを運ぶのも別で貰い、そして帰りに粘土を運ぶ。渡りに船みたいな感じでいい思いしたけど、だから今はどこにどんな土があるかだいたい分かる。島の土はほとんど焼いたつもりでいるけど。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ikei-sensei-pottery-amami-oshima.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>作品作りに没頭する池先生</small></p>

<p><strong>奄美大島の土は何種類ありますか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>何種類もない。焼き上がったらほとんど全部いっしょ。
  川を掘ると出てくる細かい粘土があって、戦後はその土で瓦を焼いてたみたい。
  笠利ではチョコみちゃというけどね。昔、瓦を焼いてたところをあまくま（あちこち）訪ねて行くと焼ける土があったよね。ただね、この土はいいだろうと持って帰るけど、その土を持って帰ってきてこの窯で１１８０度で焼くと、だいたい倒れるのよね、１２５０度まで最低もってもらわないと上薬が溶けないし、本体は倒れて上薬が溶けないとなると話にならんでね、温度を上げる為にはどうしても島の土に白土をと、信楽から磁器の土を分けてもらって島の土が７割、信楽の土を３割混ぜて使ってる。<br><br>今、焼き物を始めた人はいっぱいいるけど、おそらく自分で粘土を作ってしてる人はあまりいないんじゃないかな。都会とかでは絵付けの職人、轆轤職人、窯焼き、といって分業になってるから、むしろ一人でやるというのは、あんまりないみたい。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ike-sensei-atelier-amami-oshima-pottery-naze.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>野茶坊焼工房・美人集会所</small></p>

<blockquote>
  <p><em>どうしても生き残りをかけてやらないといけないわけで、色々見て回る時に赤い焼き物が少ないと思い、じゃやろうと。赤い色を出す為にずいぶん時間かかったけどね。<br><br>
  「赤い色は珍しいですね。どうやって赤い色を出すのですか？」と取材がある時によく聞かれる。「出すためには基本があって、まずは家計簿を赤くせんといかん」と返す。<br><br>
  「家計簿が真っ赤になった時にね、少しづつ赤い色が出てくるかもよ」と話すと、もうこれ以上質問してもしょうがないかなと思うみたい。（笑）</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ike-sensei-pottery-amami-oshima-shop-cafe-atelier-red-clay.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>野茶坊焼のギャラリー</small></p>

<p><strong>赤色はスペインの闘牛でインスピレーションを得たんだとか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>初めてスペインで闘牛を見た時にね、牛の背中に剣を刺す時に血がドバッと出るのを望遠鏡で見てたのよ、むるショックでね。どうしても赤をやりたいと思った。黒と赤をしたくてね。<br><br>
  子ども達も見たいって言うから連れて行ったけど、同じことを三回繰り返してショーが終わるところを一回目で帰ろうと言ってきた。その時たまたま風下に居て血の匂いがしてきてね。娘が帰ろうというから、いやこれは他では見れないし、おそらく無くなるはずだから必ず最後まで見てから帰れと言ったら泣きながら見てたけどね・・・<br><br>
  本当は見せたらよくなかったかもしれないけど、今はもうスペインでも闘牛は無くなってきたよね。残酷だからやっちゃいかんと。観光客にずいぶんなじられたみたい、動物愛護団体からもバッシングを受けたしね。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/red-clay-pottery-cup-amami-oshima-ike-sensei.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>野茶坊焼きの特徴的な赤い焼き物</small></p>

<p><strong>『野茶坊焼』の由来と始めて何年目になるか教えて下さい。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>今年で４３年目かな。（２０２０年）
  島の伝説上の男で「やちゃ坊」っているのよね、やちゃ坊に憧れてたからね。まっそういう言い方はあれだけど別に何坊でも良かったのよ。どうせ普通じゃないはみ出し者みたいにしてやってきてるから、やちゃ坊でいいかなと大して深く考えなかったけど。<br><br>
  新聞社などに「やちゃ坊ってどんな人だったのかい？」と聞きに行くと、「家に帰って鏡見たらやちゃ坊はいる」との返事で、まあそう思えばいいんじゃないと言うから。まぁ、そう思おうかなと。あの時はヒゲがだいぶ伸びていた。生え放題にしてたから、少しは身なりを考えなさいと言われたりね。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ike-sensei-atelier-garden-tree-ceramic-amami-island.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>工房に向かう途中にも作品が並ぶ</small></p>

<p><strong>そんな「やちゃ坊」が木造舟で島を一周したとお聞きしました。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>野茶坊集団っちいうのがあってね・・・<br>
  こんなことやりたい！と新聞に載せると、わぁーと集まってくるのよね。
  手漕ぎの木造舟で島を一周したい！と声に出すと集まる仲間がいる。<br><br>
  今みたいにネットなんてない時代だから新聞や陶芸教室に通う生徒だったり口コミで広がった。１回目は日本一の野焼きと言ってずいぶん大騒ぎしたね。<br><br>
  その野茶坊集団の仲間と木造舟で奄美一周した時は野焼きの二年後。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/itatsuke-fune-amami-oshima-ike-sensei-ilandr.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>唄う舟大工として有名だった坪山豊さんが造った木造舟アイノコ</small></p>

<blockquote>
  <p><em>市役所の木造舟でも借りて島を一周したいと、仲間でもあり船大工で唄者でもある坪山豊さんに話したら、「バカ、あれは舟漕ぎ用で湾内で動く舟。外洋に出るには一回り大きくしないと出れない」と言われたね。「縦も長く幅もある舟を自分が造る」と言ってくれて「じゃお願いします」と。それで作り始めてから「すみません実は一銭も金持ってません」と言った。そしたら「あきれた！金持たんでお願いしにきた君も図々しいけど、まぁ自分もこれが最後の舟だと思うから」と造り続けてくれたのよね。<br><br>
  手漕ぎの舟は普通だと舵取りいれて７人乗り。あれは８、９人まで大丈夫な舟だったみたいよ。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/sankkaku-hama-amami-naze-ikei-sensei-adan-pandanus-beach.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>木造舟で島を一周した時のスタート地点　（奄美市名瀬三角浜）</small></p>

<blockquote>
  <p><em>埋め立てになった角のコンクリートの部分に砂が溜まりだし、池先生がアダンを３本ほど植えたという。多くの砂が溜まるようになり、今では名瀬市街地から一番近い砂浜となった。その三角浜には６０種類もの海浜植物があるという。<br><br>
  アダンの植物を描いていた田中一村さんは「アダンは浜を作る」とも言っていたそうです<br><br>
  田中一村さんが生前の頃、会いに行った池先生は一村さんの絵を見て衝撃を受けたそうです。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/sankkaku-hama-amami-naze-ikei-sensei-hisami-adan-pandanus-beach.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>アダンを植えた三角浜。今では６０種類ほどの海浜植物が確認されている。（奄美市名瀬）</small></p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/tanaka-ison-adan-pandanus-amami-ikei-sensei.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>田中一村「アダンの木」昭和４０年代の作品　出典：田中一村の世界から/NHK出版</small></p>

<p><strong>何日かけて舟を漕いだのでしょうか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>手漕ぎ舟は名瀬の三角浜から大和村周りで一週間かけて一周した。
  舟を漕いでる間に何かあったらいかんちゅうことで、陸と海から伴走。あの時は世界一周から帰って来たヨットマンがいてね、ヨットでずっと伴走してくれた。<br><br>
  着いた先で必ず一泊しないといけなくて、そのころ６市町村だったのもあって各市町村で一泊した。各市町村の青年団が協力してくれたからね。みんな手弁当で炊き出しも彼らがしてくれて嬉しかったなぁ。たまたまが、たまたまと、いつも人が集まってくれるのよね。ありがたい話でね。
  名瀬から車で行った青年団も彼らと合流してそこでノミニケーションが始まるのよね。<br><br>
  コミニケーションよ、遊びだから。<br><br>
  あとNHKがドキュメンタリーとして撮影し、記録として残す予定が何か大きな事件があった時だと思うけど、途中で記者が呼び戻されたりもしたね。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/itatsuke-fune-paddle-challenge-amami-oshima-ike-sensei.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>漕ぎ出した野茶坊集団</small></p>

<blockquote>
  <p><em>それから５年後、一時はおさまっていた虫がうずきだしたみたいで、何かやろやろう！なんか考えれと仲間がいうもんだから「舟漕ぎで島一周したんだから竹馬で島一周しようや」となって、竹馬で島を一周したよ。夏休みを利用して竹馬の駅伝。スタートは名瀬から、舟漕ぎと同じように各市町村を回った。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>なぜ竹馬で？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>歩くのはみんなやってるし、どうせなら竹馬のほうが面白そうだし、浅はかな話で一歩がかなり大きいから速くなるかな、、、なんて。かえって遅くなったりしてね（笑）<br><br>
  ほとんどアスファルトの上で問題なかったけど、宇検の屋鈍から瀬戸内の西古見まではきつかったね。ちょうど台風明けで道は狭いし、ヤギは飛び出してくるし、風は強いし。<br><br>
  竹馬は前屈みに乗る形なんだけど、急に岩影に入り風がピタッと止まると倒れそうになる。なによりヤギが飛び出してくるのが一番怖かった。<br><br>
  竹馬の時も舟漕ぎの時みたいに、みんな手弁当でね。いい思いをしました。
  証拠を残すために各小学校の校長先生に頼んでコメントをお願いした。それが今は僕の財産。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ike-sensei-take-uma-amami-oshima-pottery-artist.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>人生を楽しんでいる最高の笑顔！</small></p>

<p><strong>日本に戻って来てからもよく海外に行かれるんですか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>ちょこちょこね、英語がダメだからラテンの国ばかり。
  キューバは帰国してからもう一度行ったね。
  今まで行ったのがメキシコ、グァテマラ、コスタリカ、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、ベネズエラ、キューバ、ニューヨークは展示会の為だけど、英語が全然意味が分からんでね。ちょこちょこ海外に出るけど、長くても半年ぐらい滞在して、長く住んだのはバルセロナだけ。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>海外から日本を見たり、奄美を見たとき色々と感じるものはありましたか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>それはある。いっぱいある！やっぱり奄美の海が一番いいなと思う。カリブ海やエーゲ海もきれいな海を宣伝してるけど撮り方よね。<br><br>汚れた所は汚れてるし、島の方がまだいい。<br><br>
  画面には写らない部分が本当だよ。なんて話したりする。都合の悪いところは映さないからね。</em></p>
  
  <p><em>ある時、母校である大島高校で話す機会があって、進路が決まっている三年生だったんだけど「必ずできる目標定めよう」って話しをして何がいいか話しているうちに「浪人という目標を立ててごらん」って話しだしたら、進路指導の先生に袖を引っ張られたこともあったね。何でも話していいって言ったのにね。<br><br>目標を浪人に定めたら、確実に達成出来る。浪人したら予備校ではなく、とんでもない貧困の国に往復の運賃だけもって彼らと同じような生活したり「とにかく日本を出てみろ」と話した。<br><br>どう感じたか分からないけど、その後に学生から電話があったのは嬉しかったね。「おじちゃんのところに話し聞きにきてもいい？」って。<br><br>それから学生の子たちが遊びに来るようになった。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ike-sensei-atelier-pottery-amami-oshima-garden.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>野茶坊焼の入口</small></p>

<p><strong>お弟子さんはいますか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>いないね。島には江戸時代にも戦後にも何件か焼き物屋があったみたい。ところが十年続かなかったとの話。僕は四十年続いたからもういいかなと。二代目は育たないと言われたから無理にでも育てようと思ったけど、もうちょっと見込み無さそうだから、もう尻尾を巻いて墓に入ろうかなと。</em></p>
</blockquote>

<p><small>ここまでは２０１７年までのインタビュー ２０２０年のインタビューに続きます。</small></p>

<p><strong>諦めていた頃に本気で焼き物をしたい若者に出会ったようですね。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>そうね。「毎日１分でも土に触ることが大切だから、毎日来れるか？」と聞いたら、サラは「毎日来る」って言うからOKした。たまたまスペイン語を話せることもあったしね。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ikei-sensei-amami-oshima-potter-pottery-ceramic-deshi-sara.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>池先生とサラ。本気で焼き物をしたいと弟子入りをしたサラさんはマイアミ生まれ。
仕事関係で奄美に来て、池先生と出会ったそうです。
キューバ人のご両親に育てられスペイン語も話すサラさん。
池先生との会話はスペイン語。</small></p>

<blockquote>
  <p><em>ある日、サラが来れない日があって「毎日来れんのだったら来んでいい」と言ったら泣き出したこともあってね・・・辛かったかも。自転車で来るんだけど、台風の時も自転車で毎日通ってきて。<br><br>
  夜遅くなったときは帰り道が心配で後ろから車で追いかけて無事を確認したりね。<br><br>
  本人は気づいてないと思うけど、心配だったから。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ikei-sensei-deshi-sara-cuba-amami.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>厳しいながらも優しさがあって、サラさんは真剣ながらも楽しそうに修行していました。
今はサラさんと一緒に古い窯をアレンジして茶道の茶碗を作る専用窯も作っています。
ますます活き活きとして楽しそうな池先生でした。</small></p>

<p><strong>ところで、池先生は毎日泳いでいると聞きました。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>義理堅く毎日までじゃないけど、暇があるときは泳ぐね。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>泳ぐことは昔から好きだったのですか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>あの〜、現役の・・・　まぁ・・・自慢話になるからあんまり言いたくないけど。
  県体の現役選手なんですよ。４０年続けている。<br><br>
  「自慢じゃないけど」ってあれは自慢ということよね（笑）<br><br>
  スペインから帰って来てからずっと毎年泳いで、４０年にもなるってことで県が表彰してくれるということだったけど、記録も何も作ってなくて、ただ４０年泳いでいると言うだけでね、みっともないから嫌っち言ってね。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>４０年ってすごいですね！</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>すごいらしいね。国体に出てる人も４０年は続いてなく、今の会長もずっと国体には出てるけど、県体とかち合ったりするから会長は自分だって４０年できなかったのに、せっかくだから貰いに来いと言われた。でも、ちょっと恥ずかしくて・・・</em></p>
</blockquote>

<p><strong>泳ぐことは自然なことですか。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>日課になってるからね。暇があったら自動的に足が・・・（笑）。<br><br>
  毎日暇があったらというか、なくてもつくるけど。<br><br>
  中学生の時に水泳部ができてプールがなくて海で泳いでたね。
  唯一、島では大島高校にプールがあって、そこに泳ぎにいったりしてた。
  それは親父達が作ったプールだった。僕が使い、後に娘も使ったりね。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>水泳一家という感じですね。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>そうね、まっ一応。でもカミさんは全然泳げないの。<br><br>
  泳がすのは得意よ。<br><br>僕はずっとカミさんの手のひらで泳いでいるから（笑）<br><br>
  うん、あの〜　すごいコーチだよ。</em></p>
</blockquote>

<p><small>日課である水泳が池先生の健康の秘訣であり、奥様の手のひらも心地よく自由に泳げる場所なんだろうなと思いました。私は奥様に弟子入りしたい！</small></p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2021/06/ikei-sensei-hisami-sara-amami-pottery-ceramic-atelier.jpg" alt="奄美の陶芸家" title=""><small>池先生が好きだったノミニケーション。サラさんは２０２０年の秋頃に、修行を終えてマイアミに帰りました。</small></p>

<p><strong>仕事を終えた池先生とサラ。楽しい時間をありがとうございました！</strong></p>

<p><small>池先生を偲んでインタビュー記事を掲載いたしました。<br><br>改めてご冥福をお祈り申し上げます。<br><br>このインタビューは２０１７年冬〜２０２０年秋までの記録です。</small></p>]]></content:encoded></item><item><title><![CDATA[旅の途中でみつけた島]]></title><description><![CDATA[<h3 id="vol3faja">Vol.3 藤田 智 Faja</h3>

<p>スキルも何もなく、どうやって生活していこうか手探りで探していた頃に、奄美大島へ片道切符で来た。</p>

<p><strong>生まれ育った場所は？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>生まれは静岡県。父の転勤で１歳の時に静岡を離れて、大阪と三重県で育ちました。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/1465610496282_dca69ea7c0ced8ba0a8ba958816c037a_ms.jpg" alt="Satoshi Fujita, 藤田智さんことFaja とても良い笑顔！" title=""><small><strong>藤田智さんことFaja とても良い笑顔！</strong></small></p>

<p><strong>奄美に来たきっかけは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>サーフィンがしたくて。
  高校時代に始めたサーフィン「これは面白いな、一生やるだろうな」そう思った。山の中で育ったから、海への憧れがもの凄くあったね。</em></p>
</blockquote>

<p>「海のそばで暮らしたい」大人になって自分が暮らす場所は海の近くと決めていたそうです。</p>

<blockquote>
  <p><em>山の中では太陽が見える時間が少なくて、浜辺みたいに広いところから太陽が出る景色をほとんど見たことがなかった。旅先で広い浜辺を初めて見た時に「こんなとこに住みたい」と思った。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/1480821073522_e34a9659a0941123a080e7467dc414e3_ms.jpg" alt="神の子ビーチ" title=""><small><strong>神の子ビーチ</strong>  &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Picture by Keiko Yoshida</small><br></p>

<blockquote>
  <p><em>奄美に来た時は片道切符でお金もほとんど持たずに来た。
  ただサーフィンがしたかった。お金がなくなったらコンビニでバイトしながらサーフィンして、お金が貯まったら帰ろうと思っていたね。でも当時の奄美にはコンビニもなく、８時には真っ暗。どうしようかと思っていたところにサトウキビ収穫のアルバイト話が舞い込んできた。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>移住して何年になりますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>バイト先でいろんな人に出会い、そうこうしているうちに「このまま、</em></p></blockquote>]]></description><link>http://ilandr.com/amami-satoshi-fijita-craftman/</link><guid isPermaLink="false">8919e226-d95f-4f46-9a3e-eb4655a1c7c7</guid><category><![CDATA[amami]]></category><category><![CDATA[craftman]]></category><category><![CDATA[shaper]]></category><dc:creator><![CDATA[Hisami Take]]></dc:creator><pubDate>Tue, 06 Dec 2016 05:40:00 GMT</pubDate><media:content url="http://ilandr.com/content/images/2016/12/interview-amami-faja-cover-2.jpg" medium="image"/><content:encoded><![CDATA[<h3 id="vol3faja">Vol.3 藤田 智 Faja</h3>

<img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/interview-amami-faja-cover-2.jpg" alt="旅の途中でみつけた島"><p>スキルも何もなく、どうやって生活していこうか手探りで探していた頃に、奄美大島へ片道切符で来た。</p>

<p><strong>生まれ育った場所は？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>生まれは静岡県。父の転勤で１歳の時に静岡を離れて、大阪と三重県で育ちました。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/1465610496282_dca69ea7c0ced8ba0a8ba958816c037a_ms.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>藤田智さんことFaja とても良い笑顔！</strong></small></p>

<p><strong>奄美に来たきっかけは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>サーフィンがしたくて。
  高校時代に始めたサーフィン「これは面白いな、一生やるだろうな」そう思った。山の中で育ったから、海への憧れがもの凄くあったね。</em></p>
</blockquote>

<p>「海のそばで暮らしたい」大人になって自分が暮らす場所は海の近くと決めていたそうです。</p>

<blockquote>
  <p><em>山の中では太陽が見える時間が少なくて、浜辺みたいに広いところから太陽が出る景色をほとんど見たことがなかった。旅先で広い浜辺を初めて見た時に「こんなとこに住みたい」と思った。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/1480821073522_e34a9659a0941123a080e7467dc414e3_ms.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>神の子ビーチ</strong>  &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Picture by Keiko Yoshida</small><br></p>

<blockquote>
  <p><em>奄美に来た時は片道切符でお金もほとんど持たずに来た。
  ただサーフィンがしたかった。お金がなくなったらコンビニでバイトしながらサーフィンして、お金が貯まったら帰ろうと思っていたね。でも当時の奄美にはコンビニもなく、８時には真っ暗。どうしようかと思っていたところにサトウキビ収穫のアルバイト話が舞い込んできた。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>移住して何年になりますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>バイト先でいろんな人に出会い、そうこうしているうちに「このまま、こっちでもいいんじゃないかな…」と思いはじめて移住し、１９年が経った。奄美はすごく気持ちがいいし、人も優しい。住民票を移そうと思ったのは、サトウキビの収穫を終えた頃だった。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/1480821066992_84ee441a5163e0af611c5e1a5bdcc2f2_ms.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>藤田家の目の前は海で、裏には小高い山がある。</strong>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Picture by Keiko Yoshida</small><br></p>

<blockquote>
  <p><em>海外にも住みたいと考えていたね。オーストラリアに行った時にパースという静かな場所が気に入った。奄美に来た時、静かでパースと少し似てると感じた。海外移住も考えていたけど、海外に旅行に行くと思ったら、海外みたいな奄美に住もうと。都会の忙しい感じとは違う暮らしがしたかった。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>想像していた島の暮らしと現実とのギャップはありましたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>特にギャップはなく、ギャップというより島の暮らしに慣れていかなきゃと思った。そのうち両親も呼ぼうと考えていたしね。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465610795951_79a78ed31fabf842b440db78ce0c7422_ms.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>「いきなり家を作ることから始まったんだ」とfajaさんが建てたご実家</strong></small></p>

<p>現在、木工の仕事を中心に生活している藤田さんことfajaさんは両親の家を建てることから始めて、ご両親も奄美に移住した。</p>

<p><strong>仕事や旅などで、これまで経験してきた事は何ですか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>奄美に来るまではスキルも何もなく、どうやって生活していこうかと手探りで探していたね。旅先でナホバ族と出会ったことが大きなインスピレーションを受けた。そこにある材料と自分たちのスキルでものを作り、売っていたから。島に住んでて仕事がない時、何かしないといけないなと思った。「あー、彼らみたいに何か作ればいいんだ」と単純な発想からシルバーアクセサリーを作りをはじめた。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/amami-arts-craft-faja.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>七色に輝く夜光貝</strong>  &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Picture by Keiko Yoshida</small><br></p>

<blockquote>
  <p><em>シルバーアクセサリーはナホバ族の影響で、ターコイズなどを使ったインディアンジュエリーみたいなものを作っていたが、次第に奄美の夜光貝を切って磨き、ターコイズの代わりに使い、どんどん島の素材を使いたくなり芭蕉の糸を使うように変えていった。</em></p>
</blockquote>

<p>島のものにこだわっているのがfajaさんのアクセサリーの特徴。縄文アクセサリーだ。特に宣伝はしていないが口コミでファンは広がっている。お店を営んでいるファンの方が島内外でカフェやショップにて販売している。七色に輝く夜光貝はとても美しい。</p>

<blockquote>
  <p><em>木工は奄美で家を建てながら覚えた仕事。
  特に建具の細かさに興味を持ったので、建具専門の仕事に５年間就いた。そして独立した。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465610822767_ec789fbbcd63a4a984aed0d5fa4633cd_ms-1.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>宝物が詰まっているfajaさんの工房</strong></small></p>

<p>「そもそも小さい時から細かい遊びが好きだった」と言うfajaさんはプラモデルやLEGO、ラジコンに夢中になり、それが大人なったら自転車、オートバイになっていったという。</p>

<blockquote>
  <p><em>自分で修理しながら使えるもの。
  メンテナンスしなが覚えていき、オーストラリアではバイクでシドニーからパースまで東から西へと横断した。
  他にもノーザンテリトリーやタスマニアにも行き、ニュージーランドではスノーボードを楽しんだ。一度帰国してアラスカへ向かった。ユーコン川をキャンプしながら進んで行くと必ず熊がいるから怖かったね。</em></p>
</blockquote>

<p>普通に熊がいると言う。自然の中で熊に会ったらどうすればいいの？</p>

<blockquote>
  <p><em>熊は目が悪く鼻が利く、熊を見つけたら自分が風上にいるのか風下にいるのかをまず考えて移動する。</em></p>
</blockquote>

<p>なるほど。そんなサバイバルな旅を経験したから今があるのだろう。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465610627364_7ed6a48c39993d0521e897195778374f_ms-1.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>工房と実家へ続く道</strong></small></p>

<p><strong>昔から自然の中での暮らしに興味がありましたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>興味はあった。ナホバ族の暮らしが理想的。自然の中で大家族で暮らしていて、自分たちで何もかも生みだす。どこの国でもそうかもしれないが田舎の方に行くと圧倒的に理想の暮らしをしている人が多かった。農業でも酪農でも自分たちで完結できる力を持ってる。それが単純にかっこいいと思ったね。</em></p>
  
  <p><em>暮らし方一つとってみれば１００年前とか、ちょっと戻れば持続可能な暮らし方で普通に生活していたわけじゃない？それが当たり前で何もないところから何かをつくることも当たり前だったはず、そういう原点というものが一番未来があるよね。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/1480821072578_20744420a1ad221f5495cff1c9549d40_ms.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>暮らしている家から庭へ出ると満天の星空</strong>  &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Picture by Keiko Yoshida</small><br></p>

<blockquote>
  <p><em>奄美の人もお年寄りが色々なことを知っている。奄美にある植物で籠を編んだり帽子を編んだりと、過去にやっていたスキルというのは、ただ昔やっていたというだけではなく、持続可能な未来を考えた時、その方法が一番未来に近いんじゃないかと。それを利用できるかできないかは、そこに暮らしている人たちの知恵と行動力しだい。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>世界自然遺産を目指している奄美ですが、どう思いますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>今あるこのままの状態をキープしていくことだよね。目指そうというサインばかり目立っている。観光業の一環って感じだけど、そうじゃなく、この自然環境が貴重だから世界の人に見てもらえるように残そうということでしょ？自然が残っていなかったら見せるところもないのだから。どういう風に残すか、島に住んでいる人たちが真剣に考えて行動しないといけないと最近の動き方を見てたら思う。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>奄美の未来に望むことは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>いつも思っているのは、この状態をキープしたいなと、自然も人も。順番にお年寄りが亡くなり若い人が育っていくのだけれど、同じような感じで集落の人たち、島の人たちもいてほしいなと。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>奄美のお気に入りの場所は？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>自分が住んでいる集落の海！　一番ホッとできる場所になった。
  浜に出たら南に向いていて、遮るものがなく海と空しか見えない。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/1480821070115_489f018f587a0c746e9f19e32a0ab683_ms.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>自宅前のビーチ</strong>  &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Picture by Keiko Yoshida</small><br></p>

<p><strong>奄美の暮らしで楽しいことや、子育てをしていて感じることは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>集落内の活動には驚いたが、みんなで仲良く自作自演のパーティーをしてるみたいで楽しい。運動会は子どもの数より大人が多いのは当たり前。大変な部分もあるけど楽しんでいるね。その中に入れて、やらしてもらってるというのはすごく嬉しい。</em></p>
</blockquote>

<p>家族四人で暮らしているfajaさんは夏のある日、奄美南部の山へと出かけた。空気がカラッとしていて涼しく、気持ちが良い。きれいな川が流れていて、また海と違う風が吹いていたのを感じたそう。それから毎年家族四人で出掛ける。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465611990296_7347975ce286835a6bcc67615033803c_ms.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>島の子は元気いっぱいだ！</strong></small></p>

<blockquote>
  <p><em>奄美では北と南で環境が違い風景も変わる。それが奄美大島の魅力の一つだね。</em></p>
</blockquote>

<p>fajaさんが初めて奄美大島に着いた朝、向かった場所は島の南にある嘉徳海岸。海のイメージで来たfajaさんが不安になるほど深い森に驚いたという。  </p>

<blockquote>
  <p><em>どこまで行けば海にたどり着くのだろう…すごい景色だな。この先に海はあるのだろうか？と大きなヘゴの木などの植物に圧倒されなが向かった道のりと、たどり着いた浜辺にすごく感動したね。まるでジュラシックパークみたいと思った。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>今後どう過ごして行きたいですか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>仕事と自分のリズムがうまく取れていないので、もう少し余裕を持って暮らしていきたい。やりたい事が多すぎて…子どもとの時間も、もっと欲しいし、あれもこれも作りたい！これからは自分自身と上手く向き合いながらリズムを作っていきたいと考えているところ。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/1480821072058_0d13b06bd76f818b4299c1da3f4bf2b9_ms.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>自然の中で楽しむ子ども達</strong>  &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Picture by Keiko Yoshida</small><br></p>

<blockquote>
  <p><em>今、面白い木工に夢中になっている。サーフボード作り！
  今はあまり見ないが昔はみんな木のボードだった。これも昔をたどることに繋がり、とても面白い。中が空洞になる作り方は船の作り方と同じで、海の中では現在のボードと重さはあまり変わらないけどウッドボードならではの「乗り味」があるよ。すごく楽しみなことの一つで思考錯誤しながら完成度を上げていきたい。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/amami-surfboard-faja-arts-crafts-2-2.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>faja作ウッドサーフボードの完成度は既に高い</strong></small><br></p>

<p>「休みという休みはない」と言っていたfajaさんは仕事の合間に自分の時間と家族の時間を作っている。「何が楽しい？」と聞いたら即答で「外で遊ぶこと」だそう。
波乗りや魚釣り、家の目の前が海という環境をおもいっきり楽しんでいる。</p>

<blockquote>
  <p><em>自分がここで育ちたかったなー。子ども達を見てて思う。夏は学校から帰ってきて毎日のように海で泳ぐ。都会では学べないことが島の子は学べていて、これだけ海に囲まれた暮らしは贅沢。島の人はあまり泳がないから海は貸し切りが多いよ。島の人は泳ぐと言うより熱くなった体を冷やす感じで服を着たまま海に浸かるね。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/12/1480821069084_6ecb3f250f06fbe85f193e8f825ac0ec_ms.jpg" alt="旅の途中でみつけた島" title=""><small><strong>息子と海へ！仕事の合間に海に行ける環境</strong>  &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Picture by Keiko Yoshida</small><br></p>

<p>スキルも何もないところから始まり家を建て、今ではジュエリー、建具に家具にウッドサーフボードまで。全て完成度の高い作品が出来上がっている。そして、昔から海のそばでの暮らしに憧れていたfajaさんは今、海の目の前で理想的な暮らしをしている。</p>

<p>藤田 智 Faja Japonesian Arts &amp; Crafts
<br><small>木工と奄美の貝を主体としたシルバーアクセサリーを制作・販売</small></p>]]></content:encoded></item><item><title><![CDATA[亜熱帯の奄美から発信]]></title><description><![CDATA[<h3 id="vol2">Vol.2　増　麻那美</h3>

<p>奄美の滋味そのものを美味しく食すお品物をネットショップで販売。<br>
”身養ふより気養ふ” 亜熱帯の奄美から「きゃしなふ」を発信！</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469074654865_79c9007cd825e86bdbed8009401f8a66_ms.jpg" alt="インタビュー風景"></p>

<p><strong>どこで生まれ育ちましたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>生まれ育った場所は奄美大島の中心地である名瀬の町です。休みの度に訪れる場所は決まって母親の故郷である瀬戸内町阿鉄でした。
  祖父の代からの果樹園を手伝ったり川や海で遊ぶ日々でしたね。</em></p>
</blockquote>

<p>阿鉄といえば阿鉄パインが有名で、海に面した静かな集落だ。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/amami-70s.jpg" alt="Amami Atetsu old back and white" title=""><small>
パイナップル売り（瀬戸内町・昭和４５年頃）阿鉄集落はパイナップルの生産が盛んである。出荷シーズンになると、婦人たちが県道に出て、採れたての実を市価よりも安く販売し、観光客などに好評であった。（撮影：川田吉博氏）
引用　「目で見る奄美の１００年」　郷土出版社　２００４年　１１９ページ
</small></p>

<p><br> <br>
<strong>幼少期はどんなお子さんでしたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>どちらかと言うと、すぐに誰かと話をしたりとか、なかなか上手ではなくて・・・
  何か一つのことをするのにすごく時間がかかる人だった。当時、中心街の名瀬から阿鉄までの道のりはすごく不便で時間がかかった。曲がりくねった道を車酔いしながら通い、だいぶ鍛えられました。
  「そんな遠くまで行くの？」と、よく言われていたけど通うことは普通だったし、山や海、川や畑が遊び場でしたね。大人になってみたら自然の中で経験できたことはユニークな事だったのかなと、後で分かった。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>奄美以外での暮らしの経験はありますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>高校卒業後、</em></p></blockquote>]]></description><link>http://ilandr.com/amami-setouchi-life-style-kyashinafu/</link><guid isPermaLink="false">3ae8b7d2-9b89-45e5-956d-8fbde6e30046</guid><category><![CDATA[amami]]></category><category><![CDATA[woman]]></category><category><![CDATA[natural]]></category><dc:creator><![CDATA[Hisami Take]]></dc:creator><pubDate>Wed, 09 Nov 2016 08:27:00 GMT</pubDate><media:content url="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469074913295_39098b56371d5272284d9f20dc95c9db_ms-1-1.jpg" medium="image"/><content:encoded><![CDATA[<h3 id="vol2">Vol.2　増　麻那美</h3>

<img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469074913295_39098b56371d5272284d9f20dc95c9db_ms-1-1.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信"><p>奄美の滋味そのものを美味しく食すお品物をネットショップで販売。<br>
”身養ふより気養ふ” 亜熱帯の奄美から「きゃしなふ」を発信！</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469074654865_79c9007cd825e86bdbed8009401f8a66_ms.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信"></p>

<p><strong>どこで生まれ育ちましたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>生まれ育った場所は奄美大島の中心地である名瀬の町です。休みの度に訪れる場所は決まって母親の故郷である瀬戸内町阿鉄でした。
  祖父の代からの果樹園を手伝ったり川や海で遊ぶ日々でしたね。</em></p>
</blockquote>

<p>阿鉄といえば阿鉄パインが有名で、海に面した静かな集落だ。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/amami-70s.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信" title=""><small>
パイナップル売り（瀬戸内町・昭和４５年頃）阿鉄集落はパイナップルの生産が盛んである。出荷シーズンになると、婦人たちが県道に出て、採れたての実を市価よりも安く販売し、観光客などに好評であった。（撮影：川田吉博氏）
引用　「目で見る奄美の１００年」　郷土出版社　２００４年　１１９ページ
</small></p>

<p><br> <br>
<strong>幼少期はどんなお子さんでしたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>どちらかと言うと、すぐに誰かと話をしたりとか、なかなか上手ではなくて・・・
  何か一つのことをするのにすごく時間がかかる人だった。当時、中心街の名瀬から阿鉄までの道のりはすごく不便で時間がかかった。曲がりくねった道を車酔いしながら通い、だいぶ鍛えられました。
  「そんな遠くまで行くの？」と、よく言われていたけど通うことは普通だったし、山や海、川や畑が遊び場でしたね。大人になってみたら自然の中で経験できたことはユニークな事だったのかなと、後で分かった。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>奄美以外での暮らしの経験はありますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>高校卒業後、進学とともに上京しました。就職地も東京で１８年ほど都会で過ごし、関東の自然もすごく好きだった。関東の自然を楽しみながら奄美の自然との違いに気づき、「奄美って亜熱帯なんだな」と改めて感じた。島の外に出てみて分かったことで、外に出てみないと分からないから、ありがたい経験だったなと思う。違いが分かって、それがきっと自分のルーツの何かに結びついているんだろうな。良いとか悪いとかではなく、それが私なんだと思うようになったのはたしか。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469074229853_6467d29b633d311333c0342a1c7a8ae8_ms.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信"></p>

<p>奄美の人は進学や就職の為、ほとんどの人が一度は島を離れる。麻那美さんもその一人で、離れる事で自分の生まれ育った場所を深く考えるようになったと話す。</p>

<p><strong>奄美大島を知っている人はいましたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>当時、奄美大島を知っている人は、ほとんどいなかった。
  伊豆大島の近くとか沖縄とか、南の島で台風がいつも通る場所とか・・・
  奄美に生まれて奄美を中心にして見ていた地図上の位置は、世界の中心が奄美だった。
  外に出てみて、世の中の人達からしてみたら奄美なんて全然知られていなかった。なるほど、奄美の位置づけってそうなんだという事も分かって別にそれが嫌だとか思わないけれど、奄美ってそうなんだなと冷静に思えた。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>奄美に戻ろうと思ったきっかけは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>都会で暮らしている１８年間の間で奄美大島の知名度は変わった。奄美大島が知られるようになり嬉しいと思った矢先の３・１１の地震。何かあった時に家族が近くに居る、親や子がお互いに安心できることを思い奄美に戻った。３・１１がきっかけとなり奄美に帰ったけど、島が好きだし島で仕事したいと思っていた。いつか子どもをもうける時に島で育てられたらいいだろうなと、ずーと思ってた。自分と同じ育った環境を与えてあげたいと考えてた。東京で子育てをすると教育の幅も広がり、色々な事を与えられるかもしれないが、それはそれで認めながらもやはり自然環境や、家族やたくさんの親戚の中で育った環境を与えたいと思った。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>戻ってきた感じたこと、今の暮らしは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>東京に住んでいる時、島に帰るとリセットできる自分がいた。島でリフレッシュし充電して、元気になりそのパワーを都会での仕事で発揮してた。島の力なんだろうな・・・
  自然だったり、やっぱり人だったり身内のみんなに元気づけられる。島は特別だなと思う。島から東京に戻ると軽く時差ぼけになってた。島にいると時間がたゆたっているような、見えるような感じがする。</em></p>
</blockquote>

<p>都会では感じることができない時間の流れと空気感が奄美にはある。</p>

<p><strong>世界自然遺産を目指している奄美大島ですが、どう思いますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>あまり難しいことは分からないけれど、いろんな人に奄美大島を知ってもらう機会には絶対になると思うし、訪れる機会にもなるのは素晴らしいことだとは思う。
  ただやっぱりそれを継続的にやって行くには島の人たちみんなでいろんな事を考えなければならない。せっかく自然遺産になったところで、それが駄目になってしまうような感じだといけない。人々の暮らしもある中、バランスがすごく大事なのかな。それをみんなで実現していく事ができればすごく素晴らしいことなのではと思う。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469074425847_1b30bc00312c7dc601d4bdf721915a7e_ms-1.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信"></p>

<blockquote>
  <p><em>東京でも感じられる自然はすごくいっぱいあって時季時季の花の香りも楽しめるのだけれど、なかなか心に余裕がないと感じられないのかなと、周りの人達を見て思う。実際、自分の友達も遊びにきてくれて、みんなリセットして帰って行く。「元気になってまた頑張ってね」と送り出します。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>奄美の魅力とは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>何にもない事なのかなと思う。何もできなかった。って言った方が、もしかしたら正しのかも知れないのだけど、開発とかね。でもそれが無かったからやっぱり守られてるものもいっぱいあるだろうし、もしかしたら途中でなくなるものもあるかもしれないけど、文化も含めて。
  そうね、自然とか島に流れる時間が好き。</em></p>
</blockquote>

<p>奄美に初めて訪れると島の時間の流れを感じることができる。
面白い事に、奄美に住んでいる人からすると奄美の中でも場所によって時間の流れが違うのだ。方言だって微妙に違う。だから奥が深くユニークな島だ。
<img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469075052150_dc07d1bafb815813bc905b80ace25527_ms-2.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信"></p>

<p>今年（２０１６年７月）、麻那美さんは島の中心地から離れ、母親の故郷に引っ越した。
幼少期に遊んだ場所、家族が営む果樹園もある。</p>

<p><strong>今、奄美でしている仕事についてお聞かせください。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>農業の勉強をしながら個人のお店としてネットショップ運営中です。やりたい事への夢に向かってちょっとづつでも出来る事をやっていく事が大事かなと。やりたい夢とは、奄美に訪れた人々がリラックスし、リセットできる場を作る事。東京に居るときからやりたい事への構想は常にあった。それは直ぐには出来ない事だと思い、帰って来てみて、まず出来る事って考えた。美味しい農作物、果樹を作ってくれている爺ちゃんだったり、叔父が居て、母親が居る。そういうのが既にあってそれを実際に食べて喜んでくれる人がいる。だったらこれをもっとみんなに知ってもらいたい。その想いから「きゃしなふ」の名でネットショップを立ち上げた。お金を払って商品を買ってくれるお客様からは「こんな美味しいものを教えてくれて、ありがとう」と言ってくれる。「元気になったよ」と次のお客様を紹介してくれる。
  どんどん繋がっていく。こんなに幸せなことはないなと思って。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469074147397_d7a668fedd1f0721bf5ff1f903635c0e_ms.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信"></p>

<p><strong>三年目を迎えた”きゃしなふ”に込めた思いとは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>都会に奄美産の素晴らしいものを紹介したくてネットショップを考えた。その時に思い浮かんだ単語を祖母にお願いして島の言葉に翻訳してもらう予定が、「そんな単語ない」とことごとく言われた時、奄美図書館に向かいました。持ち出し禁止の古い書物から奄美の古い諺を見つけた。”身養うより気養う”
  「自分が思っていることはそういうことだな」と、たしかに体は大事なんだけど元気の”氣”だったり”病は気から”とかいろいろある。”氣”はすごく大事ということを思っていたので、品物を通して食べてくれたひとが『すごい元気になったよ』って言ってくれる。そういうことで繋がっていけたらなというのがあった。</em></p>
</blockquote>

<p>氣養うから<a href="http://kiyashinafu.shop-pro.jp/">きゃしなふ</a>が誕生したのだ。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469075020379_f32cd1331ff323d2fdc019fa177a74ad_ms.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信"></p>

<p><strong>今後の展開について、お聞かせください。</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>自分も島に帰って来てリセットできた。友達とかも都会での仕事で何かと役割を持って生きているところがある。島は何もないから何もない場所で自分をニュートラルにし、自ら回復、マインドフルネスとなり得る場所を提供したいと思ってて、そういうところの道半ばで今いるところです。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>プライベートはどのように過ごされていますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>良いか悪いか分からないけど配達に行くついでに会いたい人に会いに行ったり、島中の旬のものを味わったり、わくわくしながら配達に出掛ける。仕事の延長上でプライベートも楽しむ、そういうことが出来る環境がありがたい。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>お気に入りの場所はありますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>海も好きなんだけど山を歩いたり、知らないことが沢山あるので自然が好きで鳥に詳しい人と一緒に山歩きをして勉強をさせてもらっています。母親の影響で植物も好き。その時季に咲く花の名前を聞きながら育ってきた。いつの日か自分が教えられる人になりたい。
  名瀬から篠川廻りの山道が大好で時間があれば双眼鏡を持って歩く。
  川が美しくて、時間があればおにぎりを持ってそこで食べる。
  住用も好きだし、自分のお気に入りのポイントがいくつかあるから、そこでご飯を食べたりしている。その時季に咲いている花の香りを楽しむ為にお気に入りのポイントの中から選んでます。できれば一度に二度、三度おいしい方がいい！同じ２４時間過ごすなら・・・
  本当に楽しくて、自分は幸せ者だなと思う。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>奄美の好きなところは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>ゆっくりとした島時間。時間の流れ方とか自然も大好き。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469074899909_5432a7166499d87e62708a614d202ddd_ms.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信"></p>

<p><strong>今後、奄美大島をどう盛り上げていきたいですか？　望む未来は？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>世界情勢とかは自分一人でどうにもできないけれど、ただ身近な人、友達の友達とかが幸せに生きて行ければいいのかなと思う。それが、どんどんご縁で繋がり、悲しいことができれば少なくて、嬉しいことも小さいハッピーが積み重なればいいと思う。島は発展して仕事ができて、子どもが増えればいいなと思うけど、無理矢理にはそんなこと出来ないだろうし、とりあえず大きなことは出来ないから、みんなが自分が出来ることを自分なりにやっていくことが大事なのかなと思う。わたしはわたしに出来ることをやるだけかなと。</em></p>
</blockquote>

<p>麻那美さんは都会で過ごす友達が元気がない時、「そろそろ島に来んば〜」と声をかけるそう。来れない時には奄美の黒糖などを送る。
「奄美のものを食べたら元気になる」と言ってもらえることは島の自慢であり誇れることでもある。もの作りをしている立場からすると本当に嬉しいことだろう。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1469074387503_2d286da52930fa722fe588576d54304f_ms.jpg" alt="亜熱帯の奄美から発信"></p>

<blockquote>
  <p><em>奄美だけではなくて、あちこち四国やどこだろうとみんな一生懸命もの作りをしているから、その気持ちはあると思うし、ただやっぱり島固有のもので、何かしら出来ることがあるのならばそれは幸い。まだ自分で美味しい農作物を作れる状態ではないけど、それが提供できる人間になれたらいいなと。いつか自分で作ったものを食べてもらえるように今は農業の勉強をし、美味しいものが出来るように頑張ろうと思う。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>最後に、何かメッセージはありますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>みんなが元気になればいいなと思う。だからまず自分が元気でいること。</em></p>
</blockquote>

<p>増　麻那美　　ネットショップ<a href="http://kiyashinafu.shop-pro.jp/">きゃしなふ</a>店主</p>]]></content:encoded></item><item><title><![CDATA[奄美のルーツを辿る人生]]></title><description><![CDATA[<h3 id="vol1craftseden">Vol.1 　武　照幸 Craft Seden</h3>

<p>生まれ育った海のそばで夜光貝を取り入れたシルバーアクセサリーやレザークラフトを製作販売。２０１４年からはSUPを使って海や川へ案内するサービスを始めた。</p>

<p><strong>生まれ育った場所は？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>奄美大島北部 大笠利で生まれた。１８歳まで島で暮らし、進学の為に鹿児島本土へ。その後、就職で神奈川県へと移った。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>島以外での暮らしはどうでしたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>鹿児島での生活は勉強ばかりで一番きつかった時。神奈川では都会の暮らしに慣れるだけで精一杯の日々だった。何でも物はあり、知ることが出来る環境だったけど、人とのふれあいは余りないなと感じたね。島の友達しかいなかったかも。島にない物もたくさんあり、その部分では勉強になったけどね。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>奄美に戻ろうと思ったきっかけは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>週末に波乗りに行くのが楽しみで、千葉や湘南の海へと通ってた。始めは面白かったけど、人の多さや、島との海の違いにだんだん嫌になってきた。海に行くのに３時間、帰りも３時間・・・疲れてきたね。仕事も一段落してたから、帰ることにした。</em></p>
</blockquote>

<p>都会と奄美の環境の違いに驚いたそう。
奄美に戻ろうと思ったのは海が好きな照幸さんにとって自然なことだったのだろう。
それでも都会に出た事に後悔はないという。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608827921_29d4770fa9902c78443a31e874f27f3b_ms-1.jpg" alt="奄美大島　大笠利"></p>

<p><strong>奄美では何をしていますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>レザークラフトとシルバー＆シェルアクセサリーを作っている。SUPのガイドも始めた。仕事になっているレザークラフトは東京で覚えた。都会に行かなかったら出会わなかった仕事だと思う。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>SUP（スタンドアップパドルボード）で島を案内するサービスを始めようと思ったきっかけは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>レザークラフトの仕事中に知り合いから観光案内の依頼がきた。</em></p></blockquote>]]></description><link>http://ilandr.com/amami-waterman-craftman/</link><guid isPermaLink="false">8877ec0e-cdbc-4531-9669-a0587bcc2f2c</guid><category><![CDATA[waterman]]></category><category><![CDATA[craftman]]></category><dc:creator><![CDATA[Hisami Take]]></dc:creator><pubDate>Sun, 06 Nov 2016 05:29:39 GMT</pubDate><media:content url="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608366909_ade44d37c859bb01b3d8c0087faefc18_ms-3.jpg" medium="image"/><content:encoded><![CDATA[<h3 id="vol1craftseden">Vol.1 　武　照幸 Craft Seden</h3>

<img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608366909_ade44d37c859bb01b3d8c0087faefc18_ms-3.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"><p>生まれ育った海のそばで夜光貝を取り入れたシルバーアクセサリーやレザークラフトを製作販売。２０１４年からはSUPを使って海や川へ案内するサービスを始めた。</p>

<p><strong>生まれ育った場所は？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>奄美大島北部 大笠利で生まれた。１８歳まで島で暮らし、進学の為に鹿児島本土へ。その後、就職で神奈川県へと移った。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>島以外での暮らしはどうでしたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>鹿児島での生活は勉強ばかりで一番きつかった時。神奈川では都会の暮らしに慣れるだけで精一杯の日々だった。何でも物はあり、知ることが出来る環境だったけど、人とのふれあいは余りないなと感じたね。島の友達しかいなかったかも。島にない物もたくさんあり、その部分では勉強になったけどね。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>奄美に戻ろうと思ったきっかけは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>週末に波乗りに行くのが楽しみで、千葉や湘南の海へと通ってた。始めは面白かったけど、人の多さや、島との海の違いにだんだん嫌になってきた。海に行くのに３時間、帰りも３時間・・・疲れてきたね。仕事も一段落してたから、帰ることにした。</em></p>
</blockquote>

<p>都会と奄美の環境の違いに驚いたそう。
奄美に戻ろうと思ったのは海が好きな照幸さんにとって自然なことだったのだろう。
それでも都会に出た事に後悔はないという。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608827921_29d4770fa9902c78443a31e874f27f3b_ms-1.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<p><strong>奄美では何をしていますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>レザークラフトとシルバー＆シェルアクセサリーを作っている。SUPのガイドも始めた。仕事になっているレザークラフトは東京で覚えた。都会に行かなかったら出会わなかった仕事だと思う。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>SUP（スタンドアップパドルボード）で島を案内するサービスを始めようと思ったきっかけは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>レザークラフトの仕事中に知り合いから観光案内の依頼がきた。「島のことだったら、あれに任せればいいがー」と言われた時に「これが仕事になるかも！」と、実行したら仕事になった。</em></p>
</blockquote>

<p>島に仕事が無ければ仕事を作る。
それが出来れば島の暮らしはもっと充実して楽しくなる。
それを実行しているのが照幸さんだ。
趣味であるサーフィンやSUP、潜りや釣り。その経験を生かしたサービスでは奄美の海を五感で感じることができる。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/amami-scret-beach-sup.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<p><strong>ツアーにはどのような人が来て、何を楽しんでいますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>外洋を漕ぎたい人がいたら外洋へ。まずは湾内から漕ぎ出し外洋へ出る。うねりの中、ただ漕ぐだけで満足するアスリートの方から初心者まで。SUPはサーフィンと思われがちだけど、クルージングしてりポイントに着いたらシュノーケリングしたりと色々な要素があるから楽しい。</em></p>
</blockquote>

<p><strong>他のツアーとの違いは？どのように楽しませていますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>捕れた魚や貝を一番良い状態でありがたくいただく。漁業権を持っている特権だね。</em></p>
</blockquote>

<p>「小学生の子も大喜びしてた」と嬉しそうに話す。
自分が小学生の頃に経験したことを今の子ども達にも体験させているのだ。</p>

<blockquote>
  <p><em>お客さんは、ちょっとしたことでも喜んでくれる。それは奄美がフィールドだから出来ること。そんなことで喜んでくれるの？と思うことがよくあるのは奄美の自然が素晴らしいから。</em></p>
</blockquote>

<p>照幸さんは、奄美に生まれたことを誇りに思っている。</p>

<blockquote>
  <p><em>SUPは少し練習すれば誰にでも漕ぐことができる。立っているので目線が高く、海の中がよく見える。
  漕ぐことに疲れたらボードに寝そべりリラックス。開放感がある。</em></p>
</blockquote>

<p>そう話す照幸さんもSUPの魅力に取り付かれた一人。波に乗るだけのボードではなく、海の上をクルージングする舟としても使えるのだ。</p>

<p><strong>子供の頃から自然の中で遊んでいましたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>小学生の頃はいつも海にいた。親から教えてもらった魚の捕り方、食べ方に夢中になり、海が遊び場だった。サーフィンは１５歳の時に奄美で始めた。海はすぐそこで人も少なく、透き通った海だった。サーフィンは自然の力がダイレクトに味わえる、ハマっていったね。２０年以上続けているスポーツはサーフィン以外にない。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608426554_ee036f4af403ac7dd5efad3f6c3aee99_ms-1.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<p><strong>人生の中で転換期はありましたか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>海人丸だろうね。</em></p>
</blockquote>

<p>海人丸とはサバニ２隻をつないだ木造船で人の力と自然の力だけでの伝統航海術をなしとげた船だ。</p>

<blockquote>
  <p><em>２００５年沖縄を出発『人間と自然との共生』をテーマとした愛知万博を目指し、２ヶ月間ほどクルーと共に過酷な日々を過ごした。その時がまぎれもなく転換期。いろんな人と出会い、いろんな人の感性をもらった。クルーは５人。海図もコンパスもGPSもエンジンもない過酷な航海。陸でチェックした海図をたよりに「この辺りに沖永良部島が見えてくるはずだから」と南西のうねりに合わせて島を目指し漕いだ。みんなの力を合わせて、お互いを助け合いながらの航海の中で、喧嘩は一度もなかったね。クルーとの出会いがまた次の出会いを呼んだ。海の仲間がサーファー、ライフガード、パドラー、ヨットマンと広がっていった。</em></p>
</blockquote>

<p>海好きの奥さんとの出会いもその時だそう。</p>

<blockquote>
  <p><em>海人丸がなかったら出会ってなかった、そこから今の生活に繋がっている。今があるのは、まるまるぜんぶそれ！海人丸。
  そんな仲間とはそれぞれ離れて暮らしているが年に一度は集まる。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608744376_71a3b0970f184422d60b8de81112af20_ms-1.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<p>クラフトの仕事にも良い影響があった海人丸の経験。作るものも変わってきたという。</p>

<p><strong>クラフトセデンを始めたのはいつですか？特別なスタイルや好きなマテリアルは？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>きっかけは波がない日、立ち寄った店にアクセサリーのパーツが売っていてネックレスを作ってみたらハマった。もともと細かい作業が好きだったから自己流で革の財布も作った。そして行き詰まった時、本格的に革の勉強をした。シルバーは革に付けるパーツも自分で作りたいと思ったから。こだわっているのは奄美で捕れる貝、夜光貝を使うこと。</em></p>
</blockquote>

<p>夜光貝は屋久島以南で捕れる真珠層がある巻貝。</p>

<blockquote>
  <p><em>奄美大島で捕れる夜光貝は特にきめが細かく色も良い。磨くと虹色に光る。夜光貝にシルバーをプラスすることで特別な物になる。</em></p>
</blockquote>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/amami-jewelry-taketeruyuki.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<p><strong>どこで買えますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>オリジナルの作品はほとんどオーダー制。お客さんとのやり取りの中で好みを引き出し、納得してもらったら作る。今の技術と今ある道具では出来ない要望もあり、そんな時には「これならできるよ！」と提案するね。</em></p>
</blockquote>

<p>自信を持って作る作品は本物のアマミアンジュエリーだ。</p>

<p><a href="http://craft-seden.com">Craft Seden クラフトセデン</a><br></p>

<p>「売るのが惜しくなることはあります？」と聞いてみたら「しょっちゅうある」との答え。自分も欲しいと思うような作品づくりをしている照幸さん。お客さまが納得する秘訣のように思えた。</p>

<p>クラフトセデンは自宅兼工房を構える為に先祖が残してくれた家を自らリノベーション中。
アクセサリーやレザークラフトの注文とSUPガイドの受付ができるスペース作りをしている。出来上がりがとても楽しみだ。</p>

<p><strong>奄美の好きなところは？</strong> </p>

<blockquote>
  <p><em>自然だね～、海の自然だね～。あ～でも、山も好きだからねー。</em></p>
</blockquote>

<p>とにかく奄美の自然が大好きでたまらないといった感じ。</p>

<p>朝起きて鳥の鳴き声を聞き、近くには自然のおいしい水が汲める場所もあるという。</p>

<p><strong>島暮らしをしていて大変なことや不便なことはありますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>車庫にハブが出ることも普通にあるよ。きついのは台風、毎回不安になる。離島で物価も高いしね。</em></p>
</blockquote>

<p>島には大変なことや不便なこともある。でもそれをどう感じるかだろう。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608517786_f705a48cbe5cc56016406589064aa365_ms.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<blockquote>
  <p><em>都会の暮らしに疲れて来ました！と来ても狭い島で濃いコミニュティの中で暮らす事は、有り難いこともあるが正直面倒なこともある。島の方が疲れるよ。自分が心を開かなかったらきつい。心を開いたら楽になるのに。</em></p>
</blockquote>

<p>そう話す照幸さんはいつもオープンハート。集落の行事には必ず参加し、夏は八月踊りで盛り上がる。結局、人はどの土地に行っても自分次第だということが良く分かる。</p>

<p>そして照幸さんは半年に一回は島を出て外からのインスピレーションをもらう。
今まで行ったハワイ、バリ、オーストラリア、ロサンゼルスでも沢山のインスピレーションと刺激を受け、インプットしたものを島でアウトプットしている。</p>

<p><strong>観光業をしている側として、これからどのように奄美が伸びて行くと思いますか？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>今まで通りの観光業をしていたら奄美の観光は駄目になり、伸びないだろうね。ピーク時は宿が足りないほどに賑わってもオフシーズンをどう乗り越えるか・・・</em></p>
</blockquote>

<p>いろいろな問題があるようだ。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465609407084_274a457c50a4cb35122efee171d34513_ms.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<p><strong>東洋のガラパゴスと呼ばれ、世界自然遺産を目指していますが、それについては？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>他にも東洋のガラパゴスと呼ばれているところはいっぱいあるし、結局はガラパゴスと比較している、奄美は奄美でいいはず。ここは特別な場所だから</em></p>
</blockquote>

<p>そう、奄美は奄美だ！多種多様の固有種が存在するのだから。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608947769_e5f6ad022f03146525959cdcf6595dd9_ms-1.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<p>照幸さんが以前屋久島に行った時の事を話してくれた。</p>

<blockquote>
  <p><em>縄文杉を見る為に５０００人の人が並んで５時間かけて登る、これって自然の中じゃないでしょう。実際に世界遺産にしたことを後悔している地元の人達の声を聞いた。「自然が駄目になった」と嘆いていたね。</em></p>
</blockquote>

<p>奄美は今、世界自然遺産を目指そうとしているが、はたして島民と行政との気持ちは同じなのだろうか？もっと島民の自然環境保全への意識も高める必要があり、世界遺産とは何か？島民と行政が一緒になって考えるべきだと感じた。</p>

<blockquote>
  <p><em>自然に配慮した立ち入り方法や制限を考えたほうがいい。ルールは世界遺産になる前からはじめること。</em></p>
</blockquote>

<p>目先の発展より、持続可能なエコツーリズムを真剣に考える時がきている。</p>

<blockquote>
  <p><em>幼い頃に見た景色も変わってしまい海の沖には無くてもよい防波堤があったりする。海が見えなくなったら海で何が起こっているのか分からなくなり逆に怖いだろうね。自然のものには勝てない。どこか良ければ、どこか駄目になる。両方良くとは難しい。島にはいろんな問題があるが、反対ではなく提案していかないとね。</em></p>
</blockquote>

<p>人間と自然とのバランスが大切だろう。</p>

<p><strong>奄美の中でお気に入りの場所は？</strong></p>

<blockquote>
  <p><em>地元の海。大笠利のウーバ浜で小さい頃から遊んでいた。近くには、ばあちゃんの畑もあり、湧き水もあった。</em></p>
</blockquote>

<p>楽しそうに照幸さんが話すので、頭の中でイメージが膨らんだ。</p>

<p>インタビューの後に、お気に入りのウーバ浜を案内してもらった。
アダンの茂みを通り、浜に出たら太平洋に面した海。変わった地形、一日中いても飽きないだろうと思える場所だった。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608377558_2d9a4f210469288cac7b556abdc01b0d_ms.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<blockquote>
  <p><em>地元の人が地元を案内するのが一番いい。自然を相手に遊んでいる。みんなも、ちょっとした遊び道具を持って生活していけば楽しくなるよ。</em></p>
</blockquote>

<p>島の人にもオススメしたい島ガイドの照幸さん。
海を身近に感じるきっかけを作ってくれる、本物の島人だ。</p>

<p><img src="http://ilandr.com/content/images/2016/11/1465608800848_b30cf30e108c9b94cef4fbb6f96a6a5e_ms.jpg" alt="奄美のルーツを辿る人生"></p>

<p>照幸さんはこれからも地元を拠点にクラフトと観光ガイドをし、海に潜って漁をして旬のものを食べる。まさに自然と共存した暮らし。</p>

<blockquote>
  <p><em>自然の中からは沢山のインスピレーションをもらう。</em></p>
</blockquote>

<p>そんな照幸さんが住んでいる集落からは大島紬を織る機織り機の懐かしい音がしていた。</p>

<p>武　照幸　<a href="http://craft-seden.com">Craft Seden クラフトセデン</a><br>
<em>silver, leather craft &amp; stand up paddle board</em></p>]]></content:encoded></item></channel></rss>