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亜熱帯の奄美から発信

Vol.2 増 麻那美

奄美の滋味そのものを美味しく食すお品物をネットショップで販売。
”身養ふより気養ふ” 亜熱帯の奄美から「きゃしなふ」を発信!

インタビュー風景

どこで生まれ育ちましたか?

生まれ育った場所は奄美大島の中心地である名瀬の町です。休みの度に訪れる場所は決まって母親の故郷である瀬戸内町阿鉄でした。 祖父の代からの果樹園を手伝ったり川や海で遊ぶ日々でしたね。

阿鉄といえば阿鉄パインが有名で、海に面した静かな集落だ。

Amami Atetsu old back and white パイナップル売り(瀬戸内町・昭和45年頃)阿鉄集落はパイナップルの生産が盛んである。出荷シーズンになると、婦人たちが県道に出て、採れたての実を市価よりも安く販売し、観光客などに好評であった。(撮影:川田吉博氏) 引用 「目で見る奄美の100年」 郷土出版社 2004年 119ページ



幼少期はどんなお子さんでしたか?

どちらかと言うと、すぐに誰かと話をしたりとか、なかなか上手ではなくて・・・ 何か一つのことをするのにすごく時間がかかる人だった。当時、中心街の名瀬から阿鉄までの道のりはすごく不便で時間がかかった。曲がりくねった道を車酔いしながら通い、だいぶ鍛えられました。 「そんな遠くまで行くの?」と、よく言われていたけど通うことは普通だったし、山や海、川や畑が遊び場でしたね。大人になってみたら自然の中で経験できたことはユニークな事だったのかなと、後で分かった。

奄美以外での暮らしの経験はありますか?

高校卒業後、進学とともに上京しました。就職地も東京で18年ほど都会で過ごし、関東の自然もすごく好きだった。関東の自然を楽しみながら奄美の自然との違いに気づき、「奄美って亜熱帯なんだな」と改めて感じた。島の外に出てみて分かったことで、外に出てみないと分からないから、ありがたい経験だったなと思う。違いが分かって、それがきっと自分のルーツの何かに結びついているんだろうな。良いとか悪いとかではなく、それが私なんだと思うようになったのはたしか。

増 麻那美

奄美の人は進学や就職の為、ほとんどの人が一度は島を離れる。麻那美さんもその一人で、離れる事で自分の生まれ育った場所を深く考えるようになったと話す。

奄美大島を知っている人はいましたか?

当時、奄美大島を知っている人は、ほとんどいなかった。 伊豆大島の近くとか沖縄とか、南の島で台風がいつも通る場所とか・・・ 奄美に生まれて奄美を中心にして見ていた地図上の位置は、世界の中心が奄美だった。 外に出てみて、世の中の人達からしてみたら奄美なんて全然知られていなかった。なるほど、奄美の位置づけってそうなんだという事も分かって別にそれが嫌だとか思わないけれど、奄美ってそうなんだなと冷静に思えた。

奄美に戻ろうと思ったきっかけは?

都会で暮らしている18年間の間で奄美大島の知名度は変わった。奄美大島が知られるようになり嬉しいと思った矢先の3・11の地震。何かあった時に家族が近くに居る、親や子がお互いに安心できることを思い奄美に戻った。3・11がきっかけとなり奄美に帰ったけど、島が好きだし島で仕事したいと思っていた。いつか子どもをもうける時に島で育てられたらいいだろうなと、ずーと思ってた。自分と同じ育った環境を与えてあげたいと考えてた。東京で子育てをすると教育の幅も広がり、色々な事を与えられるかもしれないが、それはそれで認めながらもやはり自然環境や、家族やたくさんの親戚の中で育った環境を与えたいと思った。

戻ってきた感じたこと、今の暮らしは?

東京に住んでいる時、島に帰るとリセットできる自分がいた。島でリフレッシュし充電して、元気になりそのパワーを都会での仕事で発揮してた。島の力なんだろうな・・・ 自然だったり、やっぱり人だったり身内のみんなに元気づけられる。島は特別だなと思う。島から東京に戻ると軽く時差ぼけになってた。島にいると時間がたゆたっているような、見えるような感じがする。

都会では感じることができない時間の流れと空気感が奄美にはある。

世界自然遺産を目指している奄美大島ですが、どう思いますか?

あまり難しいことは分からないけれど、いろんな人に奄美大島を知ってもらう機会には絶対になると思うし、訪れる機会にもなるのは素晴らしいことだとは思う。 ただやっぱりそれを継続的にやって行くには島の人たちみんなでいろんな事を考えなければならない。せっかく自然遺産になったところで、それが駄目になってしまうような感じだといけない。人々の暮らしもある中、バランスがすごく大事なのかな。それをみんなで実現していく事ができればすごく素晴らしいことなのではと思う。

増 麻那美

東京でも感じられる自然はすごくいっぱいあって時季時季の花の香りも楽しめるのだけれど、なかなか心に余裕がないと感じられないのかなと、周りの人達を見て思う。実際、自分の友達も遊びにきてくれて、みんなリセットして帰って行く。「元気になってまた頑張ってね」と送り出します。

奄美の魅力とは?

何にもない事なのかなと思う。何もできなかった。って言った方が、もしかしたら正しのかも知れないのだけど、開発とかね。でもそれが無かったからやっぱり守られてるものもいっぱいあるだろうし、もしかしたら途中でなくなるものもあるかもしれないけど、文化も含めて。 そうね、自然とか島に流れる時間が好き。

奄美に初めて訪れると島の時間の流れを感じることができる。 面白い事に、奄美に住んでいる人からすると奄美の中でも場所によって時間の流れが違うのだ。方言だって微妙に違う。だから奥が深くユニークな島だ。 大きなアカギの木と麻那美さん

今年(2016年7月)、麻那美さんは島の中心地から離れ、母親の故郷に引っ越した。 幼少期に遊んだ場所、家族が営む果樹園もある。

今、奄美でしている仕事についてお聞かせください。

農業の勉強をしながら個人のお店としてネットショップ運営中です。やりたい事への夢に向かってちょっとづつでも出来る事をやっていく事が大事かなと。やりたい夢とは、奄美に訪れた人々がリラックスし、リセットできる場を作る事。東京に居るときからやりたい事への構想は常にあった。それは直ぐには出来ない事だと思い、帰って来てみて、まず出来る事って考えた。美味しい農作物、果樹を作ってくれている爺ちゃんだったり、叔父が居て、母親が居る。そういうのが既にあってそれを実際に食べて喜んでくれる人がいる。だったらこれをもっとみんなに知ってもらいたい。その想いから「きゃしなふ」の名でネットショップを立ち上げた。お金を払って商品を買ってくれるお客様からは「こんな美味しいものを教えてくれて、ありがとう」と言ってくれる。「元気になったよ」と次のお客様を紹介してくれる。 どんどん繋がっていく。こんなに幸せなことはないなと思って。

きゃしなふ パッションフルーツ

三年目を迎えた”きゃしなふ”に込めた思いとは?

都会に奄美産の素晴らしいものを紹介したくてネットショップを考えた。その時に思い浮かんだ単語を祖母にお願いして島の言葉に翻訳してもらう予定が、「そんな単語ない」とことごとく言われた時、奄美図書館に向かいました。持ち出し禁止の古い書物から奄美の古い諺を見つけた。”身養うより気養う” 「自分が思っていることはそういうことだな」と、たしかに体は大事なんだけど元気の”氣”だったり”病は気から”とかいろいろある。”氣”はすごく大事ということを思っていたので、品物を通して食べてくれたひとが『すごい元気になったよ』って言ってくれる。そういうことで繋がっていけたらなというのがあった。

氣養うからきゃしなふが誕生したのだ。

きゃしなふ

今後の展開について、お聞かせください。

自分も島に帰って来てリセットできた。友達とかも都会での仕事で何かと役割を持って生きているところがある。島は何もないから何もない場所で自分をニュートラルにし、自ら回復、マインドフルネスとなり得る場所を提供したいと思ってて、そういうところの道半ばで今いるところです。

プライベートはどのように過ごされていますか?

良いか悪いか分からないけど配達に行くついでに会いたい人に会いに行ったり、島中の旬のものを味わったり、わくわくしながら配達に出掛ける。仕事の延長上でプライベートも楽しむ、そういうことが出来る環境がありがたい。

お気に入りの場所はありますか?

海も好きなんだけど山を歩いたり、知らないことが沢山あるので自然が好きで鳥に詳しい人と一緒に山歩きをして勉強をさせてもらっています。母親の影響で植物も好き。その時季に咲く花の名前を聞きながら育ってきた。いつの日か自分が教えられる人になりたい。 名瀬から篠川廻りの山道が大好で時間があれば双眼鏡を持って歩く。 川が美しくて、時間があればおにぎりを持ってそこで食べる。 住用も好きだし、自分のお気に入りのポイントがいくつかあるから、そこでご飯を食べたりしている。その時季に咲いている花の香りを楽しむ為にお気に入りのポイントの中から選んでます。できれば一度に二度、三度おいしい方がいい!同じ24時間過ごすなら・・・ 本当に楽しくて、自分は幸せ者だなと思う。

奄美の好きなところは?

ゆっくりとした島時間。時間の流れ方とか自然も大好き。

瀬戸内町 阿鉄

今後、奄美大島をどう盛り上げていきたいですか? 望む未来は?

世界情勢とかは自分一人でどうにもできないけれど、ただ身近な人、友達の友達とかが幸せに生きて行ければいいのかなと思う。それが、どんどんご縁で繋がり、悲しいことができれば少なくて、嬉しいことも小さいハッピーが積み重なればいいと思う。島は発展して仕事ができて、子どもが増えればいいなと思うけど、無理矢理にはそんなこと出来ないだろうし、とりあえず大きなことは出来ないから、みんなが自分が出来ることを自分なりにやっていくことが大事なのかなと思う。わたしはわたしに出来ることをやるだけかなと。

麻那美さんは都会で過ごす友達が元気がない時、「そろそろ島に来んば〜」と声をかけるそう。来れない時には奄美の黒糖などを送る。 「奄美のものを食べたら元気になる」と言ってもらえることは島の自慢であり誇れることでもある。もの作りをしている立場からすると本当に嬉しいことだろう。

ILANDR インタビュー風景

奄美だけではなくて、あちこち四国やどこだろうとみんな一生懸命もの作りをしているから、その気持ちはあると思うし、ただやっぱり島固有のもので、何かしら出来ることがあるのならばそれは幸い。まだ自分で美味しい農作物を作れる状態ではないけど、それが提供できる人間になれたらいいなと。いつか自分で作ったものを食べてもらえるように今は農業の勉強をし、美味しいものが出来るように頑張ろうと思う。

最後に、何かメッセージはありますか?

みんなが元気になればいいなと思う。だからまず自分が元気でいること。

増 麻那美  ネットショップきゃしなふ店主