Vol.1 武 照幸 Craft Seden
生まれ育った海のそばで夜光貝を取り入れたシルバーアクセサリーやレザークラフトを製作販売。2014年からはSUPを使って海や川へ案内するサービスを始めた。
生まれ育った場所は?
奄美大島北部 大笠利で生まれた。18歳まで島で暮らし、進学の為に鹿児島本土へ。その後、就職で神奈川県へと移った。
島以外での暮らしはどうでしたか?
鹿児島での生活は勉強ばかりで一番きつかった時。神奈川では都会の暮らしに慣れるだけで精一杯の日々だった。何でも物はあり、知ることが出来る環境だったけど、人とのふれあいは余りないなと感じたね。島の友達しかいなかったかも。島にない物もたくさんあり、その部分では勉強になったけどね。
奄美に戻ろうと思ったきっかけは?
週末に波乗りに行くのが楽しみで、千葉や湘南の海へと通ってた。始めは面白かったけど、人の多さや、島との海の違いにだんだん嫌になってきた。海に行くのに3時間、帰りも3時間・・・疲れてきたね。仕事も一段落してたから、帰ることにした。
都会と奄美の環境の違いに驚いたそう。 奄美に戻ろうと思ったのは海が好きな照幸さんにとって自然なことだったのだろう。 それでも都会に出た事に後悔はないという。
奄美では何をしていますか?
レザークラフトとシルバー&シェルアクセサリーを作っている。SUPのガイドも始めた。仕事になっているレザークラフトは東京で覚えた。都会に行かなかったら出会わなかった仕事だと思う。
SUP(スタンドアップパドルボード)で島を案内するサービスを始めようと思ったきっかけは?
レザークラフトの仕事中に知り合いから観光案内の依頼がきた。「島のことだったら、あれに任せればいいがー」と言われた時に「これが仕事になるかも!」と、実行したら仕事になった。
島に仕事が無ければ仕事を作る。 それが出来れば島の暮らしはもっと充実して楽しくなる。 それを実行しているのが照幸さんだ。 趣味であるサーフィンやSUP、潜りや釣り。その経験を生かしたサービスでは奄美の海を五感で感じることができる。
ツアーにはどのような人が来て、何を楽しんでいますか?
外洋を漕ぎたい人がいたら外洋へ。まずは湾内から漕ぎ出し外洋へ出る。うねりの中、ただ漕ぐだけで満足するアスリートの方から初心者まで。SUPはサーフィンと思われがちだけど、クルージングしてりポイントに着いたらシュノーケリングしたりと色々な要素があるから楽しい。
他のツアーとの違いは?どのように楽しませていますか?
捕れた魚や貝を一番良い状態でありがたくいただく。漁業権を持っている特権だね。
「小学生の子も大喜びしてた」と嬉しそうに話す。 自分が小学生の頃に経験したことを今の子ども達にも体験させているのだ。
お客さんは、ちょっとしたことでも喜んでくれる。それは奄美がフィールドだから出来ること。そんなことで喜んでくれるの?と思うことがよくあるのは奄美の自然が素晴らしいから。
照幸さんは、奄美に生まれたことを誇りに思っている。
SUPは少し練習すれば誰にでも漕ぐことができる。立っているので目線が高く、海の中がよく見える。 漕ぐことに疲れたらボードに寝そべりリラックス。開放感がある。
そう話す照幸さんもSUPの魅力に取り付かれた一人。波に乗るだけのボードではなく、海の上をクルージングする舟としても使えるのだ。
子供の頃から自然の中で遊んでいましたか?
小学生の頃はいつも海にいた。親から教えてもらった魚の捕り方、食べ方に夢中になり、海が遊び場だった。サーフィンは15歳の時に奄美で始めた。海はすぐそこで人も少なく、透き通った海だった。サーフィンは自然の力がダイレクトに味わえる、ハマっていったね。20年以上続けているスポーツはサーフィン以外にない。
人生の中で転換期はありましたか?
海人丸だろうね。
海人丸とはサバニ2隻をつないだ木造船で人の力と自然の力だけでの伝統航海術をなしとげた船だ。
2005年沖縄を出発『人間と自然との共生』をテーマとした愛知万博を目指し、2ヶ月間ほどクルーと共に過酷な日々を過ごした。その時がまぎれもなく転換期。いろんな人と出会い、いろんな人の感性をもらった。クルーは5人。海図もコンパスもGPSもエンジンもない過酷な航海。陸でチェックした海図をたよりに「この辺りに沖永良部島が見えてくるはずだから」と南西のうねりに合わせて島を目指し漕いだ。みんなの力を合わせて、お互いを助け合いながらの航海の中で、喧嘩は一度もなかったね。クルーとの出会いがまた次の出会いを呼んだ。海の仲間がサーファー、ライフガード、パドラー、ヨットマンと広がっていった。
海好きの奥さんとの出会いもその時だそう。
海人丸がなかったら出会ってなかった、そこから今の生活に繋がっている。今があるのは、まるまるぜんぶそれ!海人丸。 そんな仲間とはそれぞれ離れて暮らしているが年に一度は集まる。
クラフトの仕事にも良い影響があった海人丸の経験。作るものも変わってきたという。
クラフトセデンを始めたのはいつですか?特別なスタイルや好きなマテリアルは?
きっかけは波がない日、立ち寄った店にアクセサリーのパーツが売っていてネックレスを作ってみたらハマった。もともと細かい作業が好きだったから自己流で革の財布も作った。そして行き詰まった時、本格的に革の勉強をした。シルバーは革に付けるパーツも自分で作りたいと思ったから。こだわっているのは奄美で捕れる貝、夜光貝を使うこと。
夜光貝は屋久島以南で捕れる真珠層がある巻貝。
奄美大島で捕れる夜光貝は特にきめが細かく色も良い。磨くと虹色に光る。夜光貝にシルバーをプラスすることで特別な物になる。
どこで買えますか?
オリジナルの作品はほとんどオーダー制。お客さんとのやり取りの中で好みを引き出し、納得してもらったら作る。今の技術と今ある道具では出来ない要望もあり、そんな時には「これならできるよ!」と提案するね。
自信を持って作る作品は本物のアマミアンジュエリーだ。
「売るのが惜しくなることはあります?」と聞いてみたら「しょっちゅうある」との答え。自分も欲しいと思うような作品づくりをしている照幸さん。お客さまが納得する秘訣のように思えた。
クラフトセデンは自宅兼工房を構える為に先祖が残してくれた家を自らリノベーション中。 アクセサリーやレザークラフトの注文とSUPガイドの受付ができるスペース作りをしている。出来上がりがとても楽しみだ。
奄美の好きなところは?
自然だね~、海の自然だね~。あ~でも、山も好きだからねー。
とにかく奄美の自然が大好きでたまらないといった感じ。
朝起きて鳥の鳴き声を聞き、近くには自然のおいしい水が汲める場所もあるという。
島暮らしをしていて大変なことや不便なことはありますか?
車庫にハブが出ることも普通にあるよ。きついのは台風、毎回不安になる。離島で物価も高いしね。
島には大変なことや不便なこともある。でもそれをどう感じるかだろう。
都会の暮らしに疲れて来ました!と来ても狭い島で濃いコミニュティの中で暮らす事は、有り難いこともあるが正直面倒なこともある。島の方が疲れるよ。自分が心を開かなかったらきつい。心を開いたら楽になるのに。
そう話す照幸さんはいつもオープンハート。集落の行事には必ず参加し、夏は八月踊りで盛り上がる。結局、人はどの土地に行っても自分次第だということが良く分かる。
そして照幸さんは半年に一回は島を出て外からのインスピレーションをもらう。 今まで行ったハワイ、バリ、オーストラリア、ロサンゼルスでも沢山のインスピレーションと刺激を受け、インプットしたものを島でアウトプットしている。
観光業をしている側として、これからどのように奄美が伸びて行くと思いますか?
今まで通りの観光業をしていたら奄美の観光は駄目になり、伸びないだろうね。ピーク時は宿が足りないほどに賑わってもオフシーズンをどう乗り越えるか・・・
いろいろな問題があるようだ。
東洋のガラパゴスと呼ばれ、世界自然遺産を目指していますが、それについては?
他にも東洋のガラパゴスと呼ばれているところはいっぱいあるし、結局はガラパゴスと比較している、奄美は奄美でいいはず。ここは特別な場所だから
そう、奄美は奄美だ!多種多様の固有種が存在するのだから。
照幸さんが以前屋久島に行った時の事を話してくれた。
縄文杉を見る為に5000人の人が並んで5時間かけて登る、これって自然の中じゃないでしょう。実際に世界遺産にしたことを後悔している地元の人達の声を聞いた。「自然が駄目になった」と嘆いていたね。
奄美は今、世界自然遺産を目指そうとしているが、はたして島民と行政との気持ちは同じなのだろうか?もっと島民の自然環境保全への意識も高める必要があり、世界遺産とは何か?島民と行政が一緒になって考えるべきだと感じた。
自然に配慮した立ち入り方法や制限を考えたほうがいい。ルールは世界遺産になる前からはじめること。
目先の発展より、持続可能なエコツーリズムを真剣に考える時がきている。
幼い頃に見た景色も変わってしまい海の沖には無くてもよい防波堤があったりする。海が見えなくなったら海で何が起こっているのか分からなくなり逆に怖いだろうね。自然のものには勝てない。どこか良ければ、どこか駄目になる。両方良くとは難しい。島にはいろんな問題があるが、反対ではなく提案していかないとね。
人間と自然とのバランスが大切だろう。
奄美の中でお気に入りの場所は?
地元の海。大笠利のウーバ浜で小さい頃から遊んでいた。近くには、ばあちゃんの畑もあり、湧き水もあった。
楽しそうに照幸さんが話すので、頭の中でイメージが膨らんだ。
インタビューの後に、お気に入りのウーバ浜を案内してもらった。 アダンの茂みを通り、浜に出たら太平洋に面した海。変わった地形、一日中いても飽きないだろうと思える場所だった。
地元の人が地元を案内するのが一番いい。自然を相手に遊んでいる。みんなも、ちょっとした遊び道具を持って生活していけば楽しくなるよ。
島の人にもオススメしたい島ガイドの照幸さん。 海を身近に感じるきっかけを作ってくれる、本物の島人だ。
照幸さんはこれからも地元を拠点にクラフトと観光ガイドをし、海に潜って漁をして旬のものを食べる。まさに自然と共存した暮らし。
自然の中からは沢山のインスピレーションをもらう。
そんな照幸さんが住んでいる集落からは大島紬を織る機織り機の懐かしい音がしていた。
武 照幸 Craft Seden クラフトセデン
silver, leather craft & stand up paddle board